私のお絵描きスタイル

日記

最終更新: 2025/12/31 17:47:07

もう2, 3年くらいインターネットに自分の趣味で描いた絵を晒しているが、どうも自分がまわりの(趣味の)絵描きの人とちがうなと感じるところがある。それは、私が趣味にも関わらずかなり緻密ちみつに予定を立てて絵を描いていることだ。ふつう、趣味で絵を描く人だったらたいてい、日々SNSを見たり、ゲームをしたり、アニメを見たり、他者の絵を見たりとコンテンツに触れている中で漠然ばくぜんと描きたいと思ったもの、または突発的に描きたいと思ったものを描くと思う。その過程で飽きたとか、描きたいのがいくつもあるとかで、下描きがいくつか溜まることもあるだろう。――私はまったく異なる。あらかじめこの日に○○の絵を上げる、あの日に△△の絵を上げる、と定めて文書にしておき、原則としてかならずそれに従う。予定に間に合うように描きはじめ、完成させて上げる。予定は基本的に絶対であり、同時に着手する絵は一つのみである。描いている途中で新たに描きたいものが生まれても、割り込んでそれに着手するようなことはしない(余裕があるならば臨時に描くこともある。)。また、投稿予定日とその回の種別(オリキャラか、他の人のキャラか、版権かの分類)をサイトで公開している(作品投稿予定表を参照。)。多少予定立てて描く人はいるかもしれないが、ここまで形式ばって緻密にする人はそういないだろう。

非公開の詳細な予定表。

このようにする利点として、以下のようなものが挙げられると思っている:

  1. 「何描こうかな……。」と迷う暇がない。
  2. 「描きたいもの」を整理して予定化しているので消化しやすい。普遍的な悩みである「描きたいものが多すぎて追いつかない……。」を抑制できる。
  3. (強制力はないが)締め切りがある以上、きちんと取り掛かって描きあげるという意識が生まれる。
  4. いつ次の作品が上がるか、見てくれている人にわかりやすい。

しかしながら、このような振る舞いは、自分があくまで趣味で描いている割にはあまりにも事務的すぎるのではないか、熱情がないように思われるのではないかという懸念を持っていた。そう思われるとしても、それは尤もなことである。「好き」というのは熱い感情からなるものであり、それを理性的に予定化するというのは奇妙なことだからだ。突発的に絵を描く人たちは、「これを今描きたい!」という熱情を持って描くのだが、確かに、私はそのような熱情が沸かない。「描きたい!」と思っても、今すぐに、とまではならない。実際、私にそのような突発的な情が乏しいことは事実であると思う。

ただ、私は決して機械的に、情なく絵を描いているのではない。もっとも、過去の自分が定めた通りに描いていくというのは、淡々としているように見えるかもしれないが、確かに情熱は存在して、その情熱のかけ方が多くの人々と異なるのだと言いたい。私は、「描きたいものをできるだけ多く描きつくす」という情熱をこの方法を以って体現しているのだ。先ほど利点として挙げた2つ目の項目(「「描きたいもの」を整理して……」)のように、「描きたいものが多すぎて追いつかない」を解決できるのである。何をどの日に描くというのを、投稿間隔、自分の他の用事など、色色な事情を考慮して冷静に定めることによって、確実に「描きたい」を達成できるのである。形が異なるとはいえ、「好き」、そして好きだから「描きたい」という思い、すなわち情熱による行動だといえないだろうか。

尤も、これは全人類こうするべきと言うわけではない。そもそもこのような奇妙なことが行えるのは、私が自分自身に関するあまりにもキチッとしすぎた仕組みを勝手に作り(ref: 作品を番号管理していること)、それに勝手に従い運用するというのが、どういうわけか好きだからであり(おそらくASD的な傾向があるのだろうと思う。)、みんなに合ったやり方ではない。さらに、このやり方には、予定を絶対視するあまり、あまり質を高めずに終わりとしてしまう(仕事で絵を描いているわけではないので、絶対視する必要は本来ない。)という欠点があるということも述べなければならない。しかしながら、繰り返しになるが、「描きたい」を確実に達成できるというのは大きな利点であると思うから、今後もこのようなやり方を基本としてやっていきたいと思っている。


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